人間倒産
chapter7
その昔、ぼくが子供の頃は、新聞をとっていない家などほとんどいってなかったように思う。でも今は、テレビ情報誌を買っているから新聞は……という友人が少なくない。
ぼくもときおり、新聞なんかやめてしまおうかと思うことがある。特にこれといって理由はないのだけれど、たとえばニュース以外の記事に目を走らせたとき、とてもつまらない文章と内容に出会うと気分がよくなかったりしたときに衝動的に思う。
オレはなにもこんなしょーもないものを読むために金を払ってるんとちゃうんやけどな。三千いくらの代金から、この記事だけはいらんから百円でも負けて欲しいと思う。
だから二年一ヶ月前、ぼくがこの『まちの尻尾』の連載を始めるとき、金を返して欲しいと思われるような文章だけは書かないようにと心に決めた。はたして達成できたかどうかは心もとないけれど。
また新聞は郵便と同じようにひとりの配達員の手によって、家のドアまで届けられる。これは当たり前のことだと思っているけれど、そこに込められた意味はとても深い。もちろん配達員の人の苦労もある。
しかし、新聞は大勢の人のために作られているものだが、家のドアにさし込まれたとき、わたしのものとなる。つまり、これはあなたのためにあなたに読んでもらいたくて届けられた手紙と同じなのだとぼくは思っている。その膨大な記事の中に、わたしのために書かれたものがあると思うからこそ、読んで開くのが楽しみになるのだ。
NINGENTOUSAN(1)
NINGENTOUSAN(2)
update
2005.05.26